ビー玉きらり。
私は今日も、学校から帰宅すると机の引き出しからビー玉を取り出し、机の上に置かれた瓶に小さなビー玉をつまみ入れる。
「あなたって本当にいい子ね。あなたみたいな優等生が学級委員を務めてくれているなんて、担任としてもとても助かるわ」
「委員長、まだ残って勉強してるの?いい子だわ~」
「ねえ委員長、今度の休みなんだけど一緒に遊びに行かない?あ、生徒だけで街に出るのは家の人がNGなんだ?それならしょうがないね。委員長本当に親の言う事とか校則を守れるいい子だよね~」
「おかえりなさい。もう部屋に入るの?ああ…宿題があるのね、言われずにやるべきことをやってくれるいい子で本当に助かるわ」
親から、教師から、同級生から。
優等生だいい子だと言われた分だけ、ビー玉を1つ瓶の中に入れていくという自分だけのルール。
決して小さくはない瓶に毎日少しずつ貯められたビー玉は、今では蓋に近いところにまで一杯に詰まってきている。
「今日は4つかぁ。ふふ、順調に貯まってきたなぁ…」
私は悦に入りながら、瓶の中に貯まったビー玉を太陽の光に透かして眺める。
赤、緑、オレンジ、黄色…様々な色の入ったガラスに光が差し込んでキラキラと輝いた。
瓶に入っている大量のビー玉は、所謂私がずっといい子に過ごしてきた証だ。
この瓶がビー玉で一杯になった時、これまで大切に大切にしまってきた自分の願いを1つ、誰にも邪魔されることなく叶えることに決めている。
私が優等生のいい子であることを演じ始めたのは、もう随分と昔のことだったような気がする。
小学校入学の頃か…いやもっと昔からだ、自宅では親の言うことを素直に聞くいい子であることを求められた。
保育園に入園して家庭以外の社会というものを知ってからは、社会で上手く人間付き合いをしていくために、先生から言われたことを素直に聞くいい子を演じ続けた。
同級生から見ても、私は校則を守り誰にでも当たり障りなく中立の立場で居続ける「同級生の中のいい子」という立ち位置だった。
高校までエスカレーター式の女子中学校に入ってからは、毎年学級委員に立候補して自ら模範的な生徒であり続けた。
いつしか私の「いい子でありたい」と思い続ける願いは、周りの人間からも「この子はいい子だ」と思わせるのに相応しい偶像を作り出していったのだ。
しかし、いい子であることを続けることはとても大変だった。
昔は「先生の顔色を伺ってばかりのいい子ちゃんだ」とか、「ちょっとした校則の抜け道を見つけて遊ぶ楽しみさえも見つけられないような可哀想な奴だ」とか、同級生には散々に馬鹿にされたことがある。
でも、私には「いい子でいる」という選択肢しかなかった。
幼いころから母親から言われ続けた、「あなたは本当にいい子ね」という言葉が、私を「いい子でいなければならない」という呪縛に縛り付けていた。
同級生たちも私がいい子ちゃんキャラじゃなくただの1人の人間なのだと分かれば、「校則を守る委員長タイプ」という別のベクトルで私を認めてくれた。
だが、いつからか私の「いい子でいる」という呪縛は、私自身の生き方を縛り付けるようになってしまった。
高校生になって、大人の言う「いい子」は、口答えをせず素直に言うことを聞く「都合のいい子」だということに気が付いてしまった。
だから、自分を押さえつけて大人の言う「都合のいい子」になり切って頑張れた時にだけ、ビー玉を貯めていくという自分にとってのご褒美を作り出したのだ。
「このまま行ったら週末には貯まり切るかなあ…。週末のスクランブル交差点。うん、最高じゃない」
私はその週の週末に、私の願い事を叶えることを決意した。
場所は駅前のスクランブル交差点。
私の願いを叶えるのに、これ以上に最高の舞台はない。
*
週末、私は高校の制服に身を包み、あのビー玉の入った大きな瓶を抱えて駅前のスクランブル交差点にいた。
週末に買い物に出ている人が多いせいか、普段より混み合っているように思える。
しかし、私にとってはまたとない好機だ。
私の願いを叶えるためには、最高の舞台が整ったとも言える。
あれから、週末を迎える前に瓶の中のビー玉は一杯になった。
週末まで待ってしまったので、瓶の口からビー玉が溢れて蓋が閉まらなくなってしまったほどだ。
でも、「願いを叶えるなら週末」そう決めていたから、私ははやる気持ちを抑えながら週末になるのを待ちわびていた。
「さあ、それじゃあ始めようかな」
これは私の最初で最後の願い。
こんなことができるのも、きっと人生で一度きりだ。
それならこれまで「都合のいい子」でいてやった分、存分に今の時間を楽しもうじゃないか。
私はそんな気持ちで一杯になりながら、スクランブル交差点の中心へと歩みを進めた。
スクランブル交差点の中心に立つと、前後左右からたくさんの人が私を追い越しては思い思いの場所へと向かって歩みを進めていく。
こんな素敵な場所で私の願いを叶えられるなんて、と、高揚感を抑えられなかった。
私は持っていた瓶のふたを開けると、中に入っていたビー玉を地面へとぶちまける。
バラバラ、ジャラジャラと大きな音を立てて地面へと広がっていくガラス玉とその音が、私を祝福しているように感じて歓喜した。
歩いていた人たちが驚いて私やガラス玉を避けるように歩いていく中、私はガラス瓶の中に残っていた、ビー玉で隠されていた「それら」を手に取った。
バンバン、ドドドド、と乾いた銃声が辺りに響き渡り、人の喧騒で騒がしかったスクランブル交差点が一気に混乱と悲鳴へと変わっていく。
アリの子を散らすように私の周りから逃げまどう人たち。
私は左手にハンドガン、右手にガトリング銃を持って、その逃げまどう人たちに正面も背中も構わず、無差別に手当たり次第銃口を向けた。
これがずっと私がやりたいと願ってきた唯一のこと。
「都合のいい子」を求めて私の自由を奪ってきた社会への、せめてもの仕返しの意味を込めて。
「何をやっているんだ!銃を下ろしなさい!」
「ひとまず落ち着きなさい!」
通報を受けて駆けつけてきたのだろう警察官が、私から銃を取り上げようとする。
それでも私は怯むことなく、警察官にすらも銃口を向けた。
別に私は落ち着いていないわけじゃないの。
至って冷静に、「私をいい子に仕立て上げた社会に復讐がしたい」というその意志だけで動いている、ただそれだけなの。
銃声とともに、地面に倒れて苦しむ人たちがどんどん増えていく。
ねえ、痛い?痛いよね?
でも、私がこれまで我慢してきた心の痛みは、1発の銃創じゃ足りないくらい苦しいものだったのよ。
きっと私のこの行動は、明日の新聞の一面を飾るのでしょう。
タイトルはそうね。
「『優等生』だった女子高生、休日のスクランブル交差点で狂気の銃乱射事件」とでも書いてくれれば満足かしら。
そのうち警察の応援も駆けつけてきて、私が持っていた銃弾も尽きる。
部活すらもしていなかった私の筋肉のない細い手足は、呆気なく取り押さえられ地面に押し付けられた。
夏の日差しに熱せられたコンクリートの熱を肌で感じながら、私は言葉で言い表せないほどの高揚感に満たされていた。
「君は高校生だな!?どうして一体こんなことをした!?」
「どうして?面白いことを聞くのね。ただ、やりたかったから。それが私の唯一の願いだったからよ」
「詳しい話は署で聞かせてもらう!着いてきなさい!」
あーあ、楽しい時間ももうこれで終わりなのね。
少年法は適用されないだろうから、きっと私が警察署から出てくることはないでしょう。
親も、教師も、同級生たちも、私がしたことに驚き恐れおののくがいいわ。
それが私に押し付けてきた、「都合のいい子」への代償なのだから。
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